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栄養学の考え方を変えさせた実験


The Journal of Nutrition Vol. 127 No. 5 May 1997, pp. 1017S-1053S
Copyright ©1997 by the American Society for Nutritional Sciences
Experiments That Changed Nutritional Thinking
Kenneth J. Carpenter, Alfred E. Harper, and Robert E. Olson
Department of Nutritional Sciences, University of California, Berkeley, CA; University of Wisconsin, Madison, WI; and University of South Florida, Tampa, FL

5: 食事のタンパク質標準は半分で良い
才能あるスウェーデンのベルセーリウス (Jac Berzelius) が後に "protein"と命名した重要な食物成分タンパク質 (Korpes 1970)は、18世紀なかばにBeccariおよびHallerにより別個に必要であると認められた (Munro 1969 and 1985)。(訳者注:ふつうオランダのムルダーがproteinの命名者とされるが、ベルセーリウスは彼に私信でこの名称を示唆していた。) しかし、ヒトの食事でタンパク質が必要と断言されたのは約1世紀後のことであった。このようにして、プレイフェア (Lyon Playfair)による連合王国、フォイト (Carl Voit) によるドイツ、アットウォーターによるアメリカ、その他によるその他の国の食事調査は、タンパク質摂取と食事のエネルギー値の関係は、”世界中でこのような食事(タンパク質)を好きなだけ摂れる人たちは少量ではなくてたっぷりと食べる....” (Benedict 1906)ことが明らかになった 。タンパク質必要量についての結論はこのようなデータから得られた。注意と学問への尊敬を要求していたにもかかわらず、フォイトはミュンヒェンにおける研究にもとづいて平均的な労働者のタンパク質摂取は毎日118gでなければならず、重労働のときにはもっと多い必要があると、結論した。フォイトの弟子のアットウォーターはこの結論を支持した(表1)。しかし、窒素出納方法がひろく利用されるようになったこともあって、表1よりも少量で適当なだけでなく健康に良いのではないかと疑う人たちも居た。(窒素出納法はブサンゴーがアルザスにおいて乳牛による餌の利用について行ったのが最初の例であった)。これらの人たちの中でチッテンデン (Russell Henry Chittenden 1856-1943) は間違いなく先頭に立っていた。このようにして、Benedict (1906) は”これまでの低タンパク質食の実験のうち、最近ニューヘブンのチッテンデン教授が行ったように徹底的な実験は無い” と述べた。実際、これらの実験は感銘深いものであり、”ほとぼりが冷めた”あとではヒトの栄養必要量について研究し考究する道筋に長続きのする大きな影響を与えた。

Table 1. 初期の食事標準(平均的な条件で健康で適度の仕事をしている平均的な男子の最低量)1

研究者タンパク質エネルギー

gkcal
Ranke1002324
Munk1053022
Voit (1881)1183055
Rubner1273092
Moleschott1303160
Atwater (1894)1253315

1 From McCay (1912), based on dietary intake studies.
1882年にチッテンデンはイェール大学シェフィールド理学部の生理化学教授になった。これは生理化学でPh.D.の学位を得てから2年後のことであった。この学位はアメリカの大学で初めて授与されたものであった (Vickery,1945) 。

Chittenden (1904) は一連の実験の詳細をモノグラフとして刊行した。表題は「栄養の生理学的経済学:健康な男子の最低タンパク質必要量。実験的研究」であった。この実験が始まったのはほんの1902年で1904年まで続いたものであり、デスクトップパブリッシングは言うにおよばず電子計算機を使ってデータを集めたり結論を出すようになる前であることを考えると、注目に値することであった。この刊行物で彼はまず、ヒトにたいするこれまでの栄養基準が実際に必要とするもの、すなわち身体の要求量であるとする前提に疑いを示した (p. 3, Chittenden 1904):”異なる階級の人々が異なる生活条件において消費する食物の種類や量を単に観察するだけで、これがこの問題に非常に重要な関係があるかどうかすら、疑うことができる”。彼は学生たちが喜んでその下で研究をしたがる教授、すなわち、ドグマに挑戦し完全に新しい実験方針を立てることを好む指導者であった。

私財をもつアメリカ人Horace Fletcher の食生活を数月にわたって観察することから彼の実験は始まった。彼の窒素出納は平均で7.19gであり、イェール体育館長のAnderson博士によると、”ヴェニスのFletcher氏はこの仕事を楽に行い、私が一緒に仕事をした同年齢、同条件の人たちに比べても悪い影響はなかった (p. 14, Chittenden 1904)。

その当時も今日と違いはなかった。チッテンデンは研究のために経済援助を必要とした。彼はワシントンのカーネギー研究財団や科学アカデミーのBache予算を獲得し、フレッチャーおよびオハイオ、デートンのJohn H. Patterson から多くの寄付を得ていた。

全体の研究はは3つの主な実験からなっており、それぞれは長期間にわたる食事タンパク質の制限と窒素排泄の測定、および研究によっては肉体的および精神的な検査からなっていた。Chittenden (1904) は述べた。”著者はこの種の実験の重要性に感動して、1902年11月に自分自身について始めた” と。彼は5人の大学教授および講師の一人として、検体となった。この中には以前の彼の弟子で教授になっていたメンデル (Lafayette Mendel) が含まれていた。

膝関節のリュウマチ症状の快癒をふくむ彼自身の結果(表2)および4人のイェール教員についての結果によって、チッテンデンは最低の”タンパク質”必要量は1日あたり93-103mgN/kg体重 (約0.6-0.64gタンパク質/kg体重)であると結論した。これは80年後にFAO/WHO/UNU (1985)による1日あたりの平均必要量の0.6gタンパク質/kgを先取りしたものであった!



Table 2. 18 月の自発的実験の後における R. H. Chittendenの典型的な1日の食事記録と窒素出納1

1904年、6月26日、日曜日;
食事
朝食:
コーヒー 122 g, クリーム 31 g, 砂糖 8 g.
ディナー:
ロースト ラム 50 g, ベークト ポテート 52 g, マメ 64 g,
ビスケット 82 g, バター 12 g, レタス サラダ 43 g,
クリーム チーズ 21 g, トーステド クラッカー 23 g, blanc mange 164 g.
夕食:
氷 茶 225 g, 砂糖 29 g, レタス サンドウィッチ 51 g,
イチゴ 130 g, 砂糖 22 g, クリーム 40 g, スポンジ ケーキ 31 g.
体重 = 57.4 kg (1902年1月の体重 = 65 kg. 年齢 47 y)
タンパク質摂取 = 0.64 g/kg
N 出納=ー0.07 g N
エネルギー摂取 = 1549 kcal

1 Data from Chittenden (1904).
次の2つのシリーズの研究は最初の発見を確認し強化するものであった。1つはイェール大学 バンダービルト広場に6月のあいだ駐屯したUS陸軍病院部隊の分遣隊員13人についてのものであった。研究は6月間の窒素排泄および出納の他に、身体的および精神的な測定、血液成分測定が含まれていた。結論として、毎日タンパク質50gで窒素平衡が成立し、ほぼこの量の摂取によって身体的な力と熱意および感覚的な刺激にたいする反応能力の保たれることが判った。終わったあとで、参加者の一人である一等兵卒J.Seitzは仲間を代表してチッテンデンに次のように書いた。”我々は最高の状態である.....概して少量の肉しか食べない。次の実験に参加したい”と。8人のイェール大学運動部選手をふくむ3番目の広範囲な観察は、これまでのデータとそれから得られた結論を繰り返すことに終わった。

ふつう食事標準として毎日必要とされている118gのタンパク質の半分で、ふつうの生活条件における身体の生理的必要に全く充分であると、チッテンデンは結論した (p. 475, Chittenden 1904)。

多分、これらの実験はこれらのグループの被験者の食事タンパク質の最低の生理学的必要量の平均を決定したものではないことに注意しなければならないだろう。何故かというと、1)低タンパク質食は教員が自由に選んだものであり、2)運動選手たちはタンパク質摂取を減らすように教えられたが特定の食事は押し付けられなかった、3)兵隊たちはふつうの軍隊の給食よりはタンパク質の少ない食事を与えられ、全”エネルギー量”はある程度減っていたようであった。各々の兵隊に与えた食事の重量は測定され、食事が終わった後で食べなかった食物は測定され、最初の重さから差し引かれた。

チッテンデンの実験は尿や糞の集め方や窒素摂取の測定方法などの信頼性と関連して窒素出納データの厳密さや精度に若干の問題があった (McCay 1912, Carpenter 1994)とは言え、実験結果は筋が通っていたし劇的であった。タンパク質の生理的な必要量は食事タンパク質の自由選択による値よりずっと少ないことを強く示した。

チッテンデンの結論は直ちには受け入れられなかったし広範囲に受け入れられたわけではなかった。McCay (1912) はチッテンデンの発見と考えを猛襲と呼び、ベンガル人についての自分のデータおよび他の人たちのデータを使って、”フォイトは正当化される”との結論に達した。Cathcart (1911)は”比較的に低いタンパク質摂取で生命を維持できるし、しばしば高いレベルで維持できる、というチッテンデン教授に完全に同意する”としていたが、一般原則として低タンパク質食が好ましいかどうか確かとは思っていなかったし、タンパク質の質について関心を持っていた。後に低タンパク質食の人たちが病気にたいする抵抗が減っているとして、彼 (Cathcart 1921)は控えめの発言をした。しかし、Chittenden (1911) はマッケイの研究に関してインドにおいて研究した住民における未知微量栄養素の不足を問題とした。後になってみるとこれは正しかったのであろう。鉄、ビタミンA、ヨウ素の欠乏は今日でも公衆衛生において南アジアで問題になっている。

健康人のタンパク質基準の問題は個人の意見が違うので解決されず、国内および国際的な委員会で食事勧告を決めるために議論がなされた。初期の国際委員会は国際連盟によって作られ、1936年における勧告は、”すべての成人のタンパク質摂取は体重1kgあたり1g以下になるべきでない” であった (League of Nations 1936)。1943年にU.S. Food and Nutrition Board of the National Academy of Sciences は食事所要量の第一回勧告を行い、毎日66gタンパク質の摂取が勧告された。これらの初期の数値はチッテンデンが充分量とした値より少し高かったが、19世紀半ばから20世紀初めまで適用されてきた気前のよい基準よりずっと低いものであった。しかし1950年代までにチッテンデンその他が確立したタンパク質必要量の代謝的な方法が受け入れられ、フォイト、アットウォーターその他による食事摂取による決定方法が退けられたことは、明らかである。たとえば1955年のプリンストン会議でFood and Agriculture Organization (FAO) の栄養部門長 W.R.Aykroyd は”我々はCarl Voit および彼の勧告にとどまる必要はない。これは1880年にミュンヘンの住民で観察されたものに過度に影響されたものである”と述べた (FAO 1957a)。事実、FAOの第一回報告はとくにタンパク質要求量に関するものであって、これはチッテンデンの研究を広範囲に含む窒素出納および成人の要求量の文献についてのシャーマンその他の総説 (Sherman et al. (1920)) に大きく依存していた (FAO 1957b)。挿話的に言うとシャーマンの論文は現在のメタ分析(独立した複数の研究データを統合的に再解析する手法)の先駆者と言うことができる! ともかく、この1955年のFAO委員会は成人の基準タンパク質の平均最低必要量を0.35 g/kg体重であると提案し、安全で実際的な所要量として毎日0.66 g/kg体重を勧告した。もっと最近の勧告 (FAO/WHO/UNU 1985) は1957年のFAO報告とは違うが、 (もしも知ることができたとしたら) この1957年報告は疑いもなくチッテンデンを満足させたであろう。これは50年前にニューヘブンのJoseph E. Sheffield の旧邸宅で得たデータと空想的な研究から出発した結論の正当性の証明であった。(訳者注:1936, 1957, 1965, 1973, 1985年のFAO報告の数値には大きな違いが見られる。国連大学の報告参考)

チッテンデンは消化生理学やタンパク質分解酵素の領域の研究(これはハイデルベルグのキューネの研究室に留学したことによって高められた)および重金属中毒やアルコール障碍を含む中毒学の領域の研究で重要な貢献をしたが、栄養学における彼の最高の貢献はヒトのタンパク質必要量の研究であった。チッテンデンが1943年の12月26日(贈り物の日)に死亡したときに、彼は53年以上も科学アカデミー会員であった。
文献
Benedict F. G. The nutritive requirements of the body. Am. J. Physiol. 1906; 16:409-437[Free Full Text]
Carpenter, K. J. (1994) Protein and Energy. A Study of Changing Ideas in Nutrition. Cambridge University Press, New York, NY.
Cathcart, E. P. (1911) Discussion. Br. Med. J. 11: 664.
Cathcart, E. P. (1921) The Physiology of Protein Metabolism. Longmans Green, London, U.K.
Chittenden, R. H. (1904) Physiological Economy in Nutrition: With Special Reference to the Minimal Proteid Requirement of the Healthy Man. An Experimental Study. Frederick A. Stokes Co., New York, NY.
Chittenden R. H. Discussion on the merits of a low protein diet. Opening paper. Br. Med. J. 1911; 11:656-662
FAO (1957a) Human Protein Requirements and Their Fulfillment in Practice. Proc. Conf. in Princeton, U.S. (1955) (Waterlow, J. C. & Stephen, J.M.L., eds.), p. 2. FAO Nutrition Meetings Report Series no. 12, Food and Agriculture Organization of the United Nations, Rome, Italy.
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FAO/WHO/UNU (1985) Energy and Protein Requirements. Report of a Joint FAO/WHO/UNU Expert Consultation. World Health Organization Technical Report Series 724, World Health Organization, Geneva, Switzerland.
Food and Nutrition Board (1943) Recommended Dietary Allowances. National Research Council Reprint and Circular Series, no. 115. National Academy of Sciences, Washington, DC.
Korpes, J. E. (1970) Jac Berzelius. His Life and Work. Almquist & Wiksell, Stockholm, Sweden.
League of Nations (1936) The Problem of Nutrition. Report on the Physiological Bases of Nutrition, Vol. II. Technical Commission of the Health Committee, official no. A.12(a).IIB, League of Nations Publications Department, Geneva, Switzerland.
McCay, D. (1912) The Protein Element in Nutrition. Edward Arnold, London, U.K.
Munro, H. N. (1969) Historical introduction: the origin and growth of our present concepts of protein metabolism. In: Mammalian Protein Metabolism (Munro, H. N. & Allison, J. B., eds.), Vol. 1, pp. 1-29. Academic Press, New York, NY.
Munro, H. N. (1985) Historical perspective on protein requirements: objectives for the future. In: Nutritional Adaptation in Man (Blaxter, K. & Waterlow, J. C., eds.), pp. 155-167. John Libbey, London, U.K.
Sherman H. C., Gillett L. H., Osterberg E. Protein requirement of maintenance in man and the minimum efficiency of bread protein. J. Biol. Chem. 1920; 41:97-109
Vickery, H. B. (1945) Russell Henry Chittenden. 1856-1943. National Academy of Sciences USA, Biographical Memoirs, Volume 24 (Second Memoir), pp. 59-103. National Academy of Sciences, Washington, DC.

(訳者 水上茂樹)