ComeJisyo Project

栄養学の考え方を変えさせた実験


The Journal of Nutrition Vol. 127 No. 5 May 1997, pp. 1017S-1053S
Copyright ©1997 by the American Society for Nutritional Sciences
Experiments That Changed Nutritional Thinking
Kenneth J. Carpenter, Alfred E. Harper, and Robert E. Olson
Department of Nutritional Sciences, University of California, Berkeley, CA; University of Wisconsin, Madison, WI; and University of South Florida, Tampa, FL

4: ニワトリの微量栄養素欠乏
最近、我々はエイクマン (Christiaan Eijkman) が1890年代にインドネシアで行った研究について報告した (Carpenter and Sutherland 1995)。これが時代的に如何に初期に行われたかが示される。アトウォーターの熱量測定とほぼ同時であり、フンクによるビタミンの概念提出やマッカラムによる脂溶性因子の研究、よりも以前のことであった (表 3)。これは病気の感染理論が支配的な時期であり、エイクマンが脚気の感染病原を求めていたときであった。脚気は当時インドネシアにおける重篤な疾患であり、彼はニワトリの多発性神経炎との類似に気がついた。彼は多発性神経炎はニワトリに白米の餌を与えると罹り、精白のときに除かれる籾を加える予防されたり治癒することを見いだした。多発性神経炎はニワトリの素嚢におけるデンプンの発酵で作られる神経毒によって起き、籾はこの毒にたいする解毒剤を含むと、エイクマンは多くの飼育実験によって結論した。

表 1. 栄養学における意味深い論文の発表年代

1889Atwater (アメリカ食品の化学)
1896Eijkman (白米による多発性神経炎)
1901Grijns (微量食品成分の必要性)
1907Holst and Fröhlich (モルモット壊血病)
1912Funk ("vitamine" の概念)
1914McCollum (脂溶性因子)
1926Jansen and Donath (チアミンの単離)
1936Williams and Cline (チアミンの合成)
エイクマンの研究は彼の健康悪化によって短期間で終わることになり、1896年にオランダに帰った。研究は他の若いオランダ軍外科医フレインス (Gerrit Grijns) が引き継ぐことになった。彼はオランダで医学教育を受け、ドイツのルードウィッヒ (Carl Ludwig) の研究室で生理学を学んだ (Grijns 1901)。1892年に彼はエイクマンの別の研究である’熱帯におけるヨーロッパ人の生理的適応’を補助するためにインドネシアに送られた。しかしフレインスはすぐに軍務に招集され、バタビア(現在のジャカルタ)に帰ることができるようになったときにエイクマンはすでにオランダに出発していた。フレインスはニワトリの多発性神経炎の病因を研究するように命令された。

フレインスの公的な任務は”赤米に含まれるタンニンの生理学的および薬理学的性質の研究”であり、赤米のその色素が脚気の治療や予防に役立つか否かを研究することであった。

フレインス (Grijns) は多発性神経炎を防ぐのは赤米だけではなく、精白していないすべての米であることに気がついていて、色素だけに焦点を置かないで、もみ(silver skin)(訳注:もみから籾殻を除いたのが玄米)全体を研究することにした。彼の最初の実験は、多発性神経炎が脂肪、タンパク質またはミネラルの不足によるのではないとするエイクマンの結論を確認した(表1)。フレインスは1901年の報告で述べた。”食物が適しているかを示すのに、タンパク質、脂肪、炭水化物、塩の量を測定しても、消化性の補正をしてさえ、終わりではない。これで窒素出納が保持されるかどうかを計算し、しなければならない運動が体内および体外で邪魔するかどうかを知ることができる。しかし永久の健康が得られるかどうかは、不可能である”。

表 2. フレインスの基本的な実験1

質問回答

1.白米食のミネラル不足が多発性神経炎の原因か?いいえ、ニワトリは治らなかった。
2.籾と一緒に脂肪を除いたのが病気の原因か?いいえ、食餌に油を加えても予防できなかった。
3.タンパク質不足が病気の原因か?いいえ、高タンパク質の大豆を与えても多発性神経炎が起きた。
4.米の籾や緑豆から予防物質を抽出できたか?いいえ、抽出で分解したので、予防効果も治療効果も無かった。
5.多発性神経炎を起こすのにデンプンは必要か?いいえ、オートクレーブした肉を与えたニワトリでも起きた。

1 Based on the paper by Grijns (1901).
活性は不明だが病気の予防に重要な役割を持つ物質は数多くあるとフレインスは信じていた。彼は2つの例、”母乳の完全な化学分析はなされているにもかかわらず、良い代用品を得ることは如何に難しいことだろうか、また見つかったと思っても再び失望している”、および”新鮮な食物の不足による壊血病は長い航海で見られるものであるが、これはふつう患者が新鮮な肉や新鮮な緑色野菜をふたたび摂ると治るのは、不思議なことだ”、をあげた。彼は未だに知られていない物質が関与していると結論した。

フレインスはこれらのような”未知物質”を研究するのに2つの方針を持った。一つは籾から種々の分画を得ることであり、他は比較研究であった (Grijns 1901)。彼は米糠を大量の水と24時間煮沸し、漉し、濾過し、液を蒸発させて、乾燥抽出物を得た。彼は白米で飼ったニワトリに胃チューブを使って抽出物を与えた。すべてのニワトリは多発性神経炎の症状で死亡した。抽出物の量を増やしても効果が無かった。糠から抽出した残りも同様であった。フレインスは”籾に含まれる予防効果のある物質は調製の方法で大部分が失われた”と結論した。

フレインスは白米と一緒に与えると少量でも多発性神経炎を予防する食品を探した。彼は緑豆(ニワトリの餌にしばしば加えられていた)と大豆を試みた。飼育実験の結果は緑豆の殻も種も多発性神経炎を予防したが、大豆はそれほど有効ではなかった。これらの2種の豆の成分を比較すると、大豆はタンパク質、脂肪、ミネラルが豊富であったにもかかわらず、抗神経炎物質としての効果は弱かった(表2)。これは多発性神経炎が上記3物質の不足によって起きるのではないという彼の信念を勇気づけた。後の実験で緑豆の抽出物は籾からの抽出物と同じように不安定であった。彼は”Phaseolus radiatus (緑豆) で米籾と同じ経験をした....有効成分を取り出そうとすると壊れた....いろいろの条件で分解したようである”と記した (Grijns 1901)。

表 3. 緑豆 (P. radiatus java) と大豆 (S. hispida tumida java) の成分1

緑豆大豆

アルブミン21%42%
脂肪4.1%28%
灰分3.6%5.7%

1 Grijns (1901)の分析表から改変.
エイクマンはサゴ、タピオカ、サトウヤシデンプンの餌に肉を加えても多発性神経炎を予防できなかったと報告した。しかし、デンプンを除いて肉だけを与えると病気を直すことができた。これらの結果から、エイクマンはデンプンが多発性神経炎の病原として有害な要因であると結論したが、この説明はフレインスを満足させなかった。フレインスはデンプンの消費と無関係に多発性神経炎が起きるかどうか試すのが重要と感じた。彼はしたがって水で2日間抽出した肉で4羽のニワトリを飼った。すべて多発性神経炎の症状を示して死んだ。彼はオートクレーブした肉で8羽のニワトリを飼ったところ、6羽は多発性神経炎になった。このようにして多発性神経炎はデンプン、さらに炭水化物とまったく関係が無いとフレインスは結論した。これらの実験はまたこの神経変性がタンパク質欠乏と関係していないことを確認した (表 3)。

多発性神経炎および脚気についての議論において、フレインスは症状について2つの説明を提供した。”欠乏または部分的な飢餓...であるか、神経に変性を起こす微生物が存在するか” (Grijns 1901)。欠乏または部分的な飢餓について、フレインスは末梢神経の代謝はほとんど知られていないので、”もしも末梢神経を正常に保つのにある物質またはあるグループの物質が必要であり、それが筋には必要でないとしたら、必要量はひじょうに少ない筈である。したがって神経系に必要な物質が無いか、または不十分な量しか無いとしたら、まず第一に神経そのものか血液かその他の臓器に存在している補充分が使い尽くされるであろう....(そして)障碍が起きる”。

多発神経炎は完全な飢餓では起きない理由を彼は説明した。何故かというと、この場合に必要なタンパク質は筋から放出され、”予防物質”を神経が利用できるので、神経の変性は防がれるからである。ニワトリによって多発性神経炎が起きないことの説明に、個体に違いがあるという概念をフレインスは使った。”ある人は同じ仕事のための物理的平衡の保持に他の人よりも大量の食物を必要とする....したがって、もしも全代謝に重要な違いがあるならば、全体の代謝に関与する個々の組織に個体差が無い筈は無い。したがって、1羽のニワトリに十分な量の未知神経栄養物質を含む食品が、他のニワトリには少なすぎる”。

神経変性を起こす微生物の概念について、これは神経組織が感染微生物に抵抗するための栄養に依存する、とフレインスは信じた。彼は結論した。多発性神経炎の原因とは関係なしに、”いろいろの自然食品には末梢神経が無しで済ませることのできない物質がある....これらの物質のいろいろな食品における分布は不平等である....これらは分離操作によって分解した....これらは非常に複雑な物質であることを示している” (Grijns 1901)。
文献
Carpenter K. J., Sutherland B. Eijkman's contribution to the discovery of vitamins. J. Nutr. 1995; 125:155-163
Eijkman, C. (1990) Polyneuritis in chickens, or the origin of vitamin research. (Papers originally published in Geneeskd.Tijdschr. Ned.-Indië 30: 295-334 (1890); 32: 353-362 (1893); 36: 214-269 (1896), van der Heij, D. G., transl.). Hoffman-la Roche, Basel, Switzerland.
Grijns, G. (1901) Over polyneuritis Gallinarum. Geneeskundig Tijdschrift v. Ned-Indië 41: 1-110. [Reprinted in English translation in Grijns, G. (1935). Researches on Vitamins 1901-1911. J. Noorduyn en Zoon, Gorinchem, Holland.

(訳者 水上茂樹)