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栄養学の考え方を変えさせた実験


The Journal of Nutrition Vol. 127 No. 5 May 1997, pp. 1017S-1053S
Copyright ©1997 by the American Society for Nutritional Sciences
Experiments That Changed Nutritional Thinking
Kenneth J. Carpenter, Alfred E. Harper, and Robert E. Olson
Department of Nutritional Sciences, University of California, Berkeley, CA; University of Wisconsin, Madison, WI; and University of South Florida, Tampa, FL

1: 肝臓はグルコースを作り、貯蔵し、分泌する
1834年に21才のクロード ベルナール(Claude Bernard)はローヌ河谷の丘を離れて劇作家を夢見てパリに赴いた。ソルボンヌのある文学教授は彼の作品”Arthur of Brittany”を読んで、むしろ医科大学に入学することを勧めた。ベルナールはこれに従って秋にコレジ・ド・フランス(Collège de France)に入学した(Bernard 1979)。

ここで彼はマジャンディ(François Magendie)の生理学講義に魅せられた。その当時の化学者や生理学者は、植物だけが脂質、炭水化物およびタンパク質を合成できるが、動物はそれらを分解するだけである、と信じていた。したがって、体内の高分子は主として出来上がった形で食事から供給される、とみなされていた(Holmes 1974)。この考えに疑問をもつ疑い深い人たちも居た。食事から来た以上の脂肪が動物体に貯まるように見えることがあるからであった。ベルナールは動物生理学の複雑さを示すマジャンディの講義実験に夢中になり、1841年から1844年にマジャンディの実験助手となり、動物実験技術の知識を得た(Holmes 1974)。

グルコースの研究

間もなくベルナールは自分の実験をはじめ、消化および神経系のある機能を研究した。彼は消化の研究から体内における糖の運命を調べることに進み、ショ糖(スクロース)は胃腸管でブドウ糖(グルコース)になることを示した (Grmek 1968)。ショ糖を静脈に直接に注射すると変化しないで尿に排泄されるが、ブドウ糖を注射すると消失した。したがって、グルコースは動物体内で使われる糖の主要な形と思われた。ベルナールが助手をつとめてマジャンディがイヌにデンプンを食べさせたときに、血液にグルコースが出現した。したがって、グルコースは少なくともデンプン摂取後の血液正常成分であり、それまで考えられたように糖尿病の症状ではなかった (Grmek 1968)。

1948年の始めに、ベルナールはグルコースが体内のどこで使われるかを知るために、体系的な研究を行った。ラヴォアジエの考え方にしたがって、グルコースは肺で燃えることを示すためにイヌを使って実験を始めた。しかし、これらの実験は矛盾し説明できないような結果を与えた (Grmek 1968, Holmes 1974)。初期の実験でグルコースを検出し定量するために感度が低い方法しか持たなかったので、大量の試料が必要であった。彼はこの大量のグルコースがほとんど瞬間的に使われると思っていた。さらに、彼は種々の生理学的条件の動物を使い、ときにはグルコースを食べさせ、ときには注射した。アルカリ性酒石酸中で銅を還元するグルコースの検出方法の改良によって、彼の結果は著しく改良された。徐々にベルナールは実験技術を改良し、初期の研究はその後の成功した実験の前段階となった。

血糖の源

1848年7月に、ベルナールは同腹の子イヌに授乳していた雌イヌで実験を行った。彼は1日間、餌を与えなかった。予想した通り胃腸管にグルコースは無かったが、驚いたことに血液中にグルコースが見つかった (Grmek 1967)。”このグルコースの源は何だろう?” この実験の後で、彼は研究をこの問に答えを見出す方向に変更した (Grmek 1968, Holmes 1974)。

8月にベルナールは8日のあいだ肉のみ(炭水化物は与えない)で飼ったイヌを使って、門脈に大量、心臓および頸部に少量のグルコースを見出したが、乳糜、胃、腸および尿にはグルコースは認めなかった。このグルコースの源は”理解できない” と彼は叫んだ (Grmek 1968)。

数日後に、ラードともつだけを与えたイヌを使って、彼は腸間膜(門脈の前)にグルコースは認めなかったが、肝臓に”大量の” グルコースを認めた (Grmek 1968)。次の4日間に、ベルナールは多種の肝臓のグルコース含量を測定し、大部分においてかなりの量のグルコースを見出した。彼は食餌中のグルコース源と無関係に健康な動物の肝臓はグルコースを含むと、結論した (Bernard 1850, Bernard and Barreswil 1848)。

これに続く実験によって肝臓は体内グルコースの源である事実が得られた。肝臓と門脈の間を結紮することによって、その前に門脈で見つかったグルコースの源は肝臓からの逆流によるものであって、肝臓より前の他の源によるのでないことを、ベルナールは示すことができた (Bernard 1849 and 1850)。この仕事によって彼は1851年に生理学賞 (Olmsted 1938) と理学博士の学位を得た (Bernard 1853)。これはまた生体が内部環境を制御するというベルナールの重要な概念の始まりでもあった (Bernard 1878)。

肝臓におけるグルコース源の探索

1855年にマジャンディは死亡し、ベルナールはコレジ・ド・フランスの生理学講座教授になった (Olmsted 1938)。教授として彼は、消化、糖尿病、毒素および神経系に関係する種々の研究の追求を続けた。この間に、研究に使っている動物の幾つかの組織のグルコース含量を2回繰り返して定量していた。ある日、肝臓の1回目の定量を行ったが、2回目の定量を行わないで翌日まで肝臓を室温に放置した。驚いたことにグルコース含量は著しく増加していた (Bernard 1855, Grmek 1967)。

ベルナールは取り出した肝臓の灌流液にグルコースが無くなるまで冷水で灌流した。次いで肝臓を数時間放置した。灌流を再開すると、灌流液にかなりの量のグルコースが見出された。したがって、肝臓の中であるものがグルコースになったのであって、血液中のある要素からグルコースが作られたのでないことが明らかであった。彼はこれを肝臓内にグルコースの源がある証拠とした (Bernard 1855)。

次にベルナールは肝臓内にあるグルコースになる物質を単離する厄介な仕事を始めた。最終的に彼はこれが植物のデンプンに化学的に類似していることを明らかにして、これは肝臓のオパール色の抽出液中に存在し、アルコールを加えると白い沈殿になることを、報告した。これはヨウ素により赤ブドー酒の色となり、唾液または植物のジアスターゼによって分解されて、グルコースになった (Bernard 1857a, 1857b, and 1857c)。

実り多い10年間

10年間にベルナールは3つの主な発見をした。1)グルコースは肝臓の正常な構成成分である、2)肝臓は血液グルコースの源である、3)肝臓はグルコースを作り、それをグリコーゲンとして貯蔵し、これは分解するとグルコースになる。

ベルナールの実験およびそれにもとづく理論は栄養生理学の主要な貢献であった。これらの研究に必要な優秀な外科技術、および実験に生きた動物を使うことの重要性の認識によって、彼は”実験医学の父” と呼ばれるようになった。彼の主な教科書”実験医学序説”(Bernard 1865)(訳注:一読をお薦めする)はこの領域における古典となり、彼はその後、科学アカデミー会員をはじめ種々の名誉を受けた (Bernard 1979, Olmsted 1938)。
文献
Bernard C. De l'origine du sucre dans l'économie animale. Arch. Gen. de Med. 1849; 18:303-319
Bernard C. Sur une nouvelle fonction du foie chez l'homme et les animaux. C. R. Hebd. Acad. Sci. 1850; 31:571-574
Bernard, C. (1853) Recherches sur une nouvelle fonction du foie. Thèse presentée a la Faculté des Sciences de Paris. Imprimerie de L. Martinet, Paris, France.
Bernard C. Sur le mécanisme de la formation du sucre dans le foie. C. R. Hebd. Acad. Sci. 1855; 41:461-469
Bernard, C. (1857a) Les phénomènes glycogéniques du foie. Soc. Biol. 2e Serie 4: 3-7.
Bernard C. Sur le mécanisme physiologique de la formation du sucre dans le foie. C. R. hebd. Acad. Sci. 1857b; 44:578-586
Bernard C. Remarques sur la formation de la matière glycogène du foie. C. R. hebd. Acad. Sci. 1857c; 44:1325-1331
Bernard, C. (1865) Introduction à l'Etude de la Médecine Experimentale. J. B. Baillière et fils, Paris, France.
Bernard, C. (1878) Leçons sur les Phénomènes de la Vie Communs aux Animaux et aux Végétaux. vol. 1, Paris, France.
Bernard C., Barreswil C. De la presence du sucre dans le foie. C. R. Hebd. Acad. Sci. 1848; 27:514-515
Bernard, J. (1979) The life and scientific milieu of Claude Bernard. In: Claude Bernard and the Internal Environment, pp. 17-27. Marcel Dekker, New York, NY.
Grmek, M. D. (1967) Catalogue des Manuscrits de Claude Bernard. Masson et Cie, Editeurs, Paris, France.
Grmek M. D. First steps in Claude Bernard's discovery of the glycogenic function of the liver. J. Hist. Biol. 1968; 1:141-154
Holmes, F. L. (1974) Claude Bernard and Animal Chemistry. Harvard University Press, Cambridge, MA.
Olmsted, J.M.D. (1938) Claude Bernard, Physiologist. Harper, New York, NY.

(訳者 水上茂樹)