ComeJisyo Project

ヘンリー E. シゲリスト(Henry E. Sigerist)著


偉大な医師たち:伝記による医学史
The Great Doctors:A Biographical History of Medicine 1933
(Grosse Ärzte: Eine Geschichte der Heilkunde in Lebensbildern 1932 )

解説
 本書はHenry E. Sigerist (1891-1957)のThe Great Doctors, A Biographical History of Medicine(1933)を飜訳したものである。この本は紀元前3千年から20世紀初頭までの「偉大な医師たち」50人ほどについて史料を詳細に調べて、それを通して医学の発展を紹介したものである。医学史専門家だけではなく、医師、医学生、一般知識人にも判るように書かれていて、たぶん世界中で最も広く読まれ、多くの人々に影響を与えた医学史の本の一つと言うことができよう。発明・発見の個人競争のお話ではなく、健康と病気の概念や診断と治療の発展など、とくに存在論的病気観について社会や文化の状態とも関連させて論じた本である。シンガーとアンダーウッド(1962、日本語訳「医学の歴史」朝倉書店1986年)はこの本を「伝記的な観点からみて重要であるばかりでない、歴史的観点からみても重要な書物である」と評しているし、アッカークネヒト(1968、日本語訳「世界医療史」内田老鶴圃、1983)もこの本を特別に推薦している。国内でよく読まれている小川政修著「西洋医学史」(真理社、1947)、川喜多愛郎著「近代医学の史的基盤」(岩波書店1977)、梶田昭著「医学の歴史」(講談社2003)などにかなりの影響を与えているように見える。
 シゲリストは医学史専門の論文や著書だけでなく、判りやすい一般向けの本を何冊か書いている。「医学序説」(1931、高山坦三訳,人文閣, 1943)、「文明と病気」(1943、松藤元訳、岩波新書、1973)および、この「偉大な医師たち」がその代表である。「医学序説」は医学生に医学の基礎的な概念を教えるのを目的としており、「文明と病気」は主として社会と病気、医師と患者、芸術と病気の関係などについて述べている。松藤元によるこの本のあとがきはシゲリストの紹介として優れている。「偉大な医師たち」は医学史の重要な古典として欧米だけでなく日本でも良く読まれてきたがこれまで日本語に訳されたことはない。
医学史家としてのシゲリスト
 シゲリストは世界最高の医学史家と言っても構わないと思っている。1891年にドイツ系スイス人貴金属細工師の子としてパリに生まれてパリで初等教育を受け、10歳のときにチューリッヒに帰って古典ギムナジウムでギリシャ語、ラテン語、サンスクリット、アラビア語を学び、チューリッヒ大学の東洋学科に入学した。この夏にロンドン大学で中国語を学んでいる。ここで医学を学ぶ決心をして、帰国後にはチューリッヒ大学およびミュンヘン大学で医学を学んだ。ミュンヘンでは病院実習の途中で医学への熱意を失って博物館、美術館、劇場、音楽会に通いイタリアに滞在した時代があったそうである。「文明と病気」で芸術と病気の関連についての記載が広範で詳細な理由と考えることができる。第一次世界大戦に際してはスイス軍に従軍して実地医学の経験も積んでいる。1918年からライプチヒ大学ズードホフ教授が創立した世界最初の医学史研究所において研究を行い、1921年から25年まで私講師、25年から31年は師ズードホフ教授の後任として教授、医学史研究所長であった。
 31年にアメリカに渡り32年からウェルチの後任としてジョンスホプキンス大学の教授・医学史研究所長になった。ライプチヒおよびこの大学でアッカークネヒト、テムキンを初めとして多数の弟子を育てた。このようにジョンスホプキンス大学を医学史研究のメッカにしたが、1947年に辞職してスイスに帰り医学史8巻の著作に専念した。しかし1951年に第1巻(原始医学など)を出版して間もなく1957年に死去した。友人たちの編集委員会によって第2巻(初期ギリシャ医学など)は死後の1961年に刊行された。第3巻以降は刊行されなかった。
改革者としてのシゲリスト
 シゲリストは医学史を単なる研究対象としてだけでなく医学の社会的な問題を解決する方法と考えていた。彼は医療や予防医学の発展には社会革命が必要であると考え、社会主義医学を研究するためにソヴェトに何回も旅行し、37年には「ソヴェトの社会と医学」(日本語版1952)を出版した。彼は国民全体のための健康保険制度をアメリカに導入することが医学史家としての任務と考えた。アメリカに来たのが大不況の始まりに相当したこともあって早くから熱心に健康保険設立の運動を行い、その結果として医師会や大学同窓会などから強い反対を受けた。40年代になると親ソヴエトであるとして政府関係からも好ましからざる人物とみなされるようになり、47年にスイスに帰国することになった。この年にはトルーマン・ドクトリンが発表されて、反共政策がアメリカの国是となり、アメリカにおける彼の貢献は無視されるようになった。ようやっと90年代になってアメリカで彼の貢献について活発な発言がなされるようになった。
 医療制度にたいするシゲリストの考えは著書「文明と病気」からも推察できる。ここでは、時の人として雑誌タイムの表紙を飾った1939年の記事およびカナダ公衆衛生雑誌に掲載されたMedical Care for All the People(1944)を引用する。アメリカでは成功しなかったが、彼はカナダおよびインドにおける健康保険制度の確立に大きく貢献した。彼について次のようなウェブページが参考になる。Bibliography of Henry Ernest Sigerist(日本語) 、An Early Apostle of Socialized Medicine 、Flawed Apostle 、Henry E. Sigerist and the politics of medical reform 、Medical Historian and Social Visionary。
「文明と病気」よりの引用
 歴史についてシゲリストは「文明と病気」の「第9章 病気と文学」の冒頭で、次のように述べている。これこそ「偉大な医師たち」を研究した方法論であり目的であると言うことができる。長いがそのまま引用する。
 「歴史を書くのは芸術的な過程である。歴史家は自分が住んでいる社会の一員であって、希望と恐怖、熱望と欲求不満を、共有している。歴史家は燃えるような興味や抗しがたい衝動に駆られて、過去を調べ始める。過去の全体ではなくて特定な時期、一連の事件、人物または問題を調べ始める。彼はどんな事柄なのかを知ろうと欲し、この目的のために見つけられる総ての文書を集める。これらの文書は彼にとっての資料となる。彼はそれに問いただし、それに語らせ、理解し解釈しようと試みる。次第に、ある時期、事件、遠い昔に死んだ人々が彼にとっては生き返り、この経験を彼は生きた言葉や文章として他の人たちと分かちあうことを欲する。彼は過去を再現させて歴史の叙述を芸術的な過程にする。
 作家エミール・ゾラは嘗て芸術を「気質によって見た自然」、すなわち人の心を媒介として見た自然である、と定義した。同様に我々は歴史を、「人の心を媒介として見た過去」、と定義できるであろう。芸術家が見たり感じたりしたことを他人に伝達するのと同じように、歴史家は自分の経験を伝達する。そしてこの経験は人々を行動に駆り立てることもあろう。歴史家の仕事によって、気付かれていなかった進歩や傾向が新しい意義を得る。人々はこのことに気がつき、彼らの行動の進路が決定されるであろう。これこそ歴史、すなわち過去について我々が持っている像、が決して死んだものではなく逆にもっとも強い推進力の一つであるのは、このためである。
 このことから歴史を書くのは非常に責任の重い仕事になる。歴史家は歴史研究の方法によって自分に課せられた鉄の規律に従わなければならない。歴史研究方法は歴史家の解釈に厳しい制限を課し、資料の事実を持たない限りは行為や言葉をある個人のものとすることを禁じている。もしも病気の例を記載するときには記録に基づいて行わなければならない。過去についての描写は正しくなければならない。真実の歴史のみが実りあるものだからである。無批判にまたは軽々しくまたは宣伝のために書かれた偽りの歴史は常に有害である。現時点で、真実でない歴史的考察にもとづいて正しいとされた政治哲学から生み出された心の歪みとその破滅的な結果を見ている。」
「偉大な医師たち」の諸版について
「偉大な医師たち」は1932年の初版(独)に続いてすぐ1933年に第二版(英独)が出版されたがしばらく新しい版の刊行はなかった。第三版(独)は出版されたのが1953年で著者の生前に出版された最後の版である。1970年にNorpoth編集で刊行された第六版(独)はこれまでのところ最後の版である。シゲリストによる第三版の序文には8巻からなる医学史の著作で忙しいこともあり20年前の本の出版に躊躇したと書かれている。第二版は初版とほとんど同じでオスラーの伝記の加えられたのが主な変更である。第三版には神経組織学者カハール、大脳生理学者パブロフ、神経外科医カッシング、およびシゲリストの恩師の内科医ミュラーと外科医ザウエルブルフが加えられている。死後に刊行された第四版にはオスラーの章にウェルチについての記載が追加されている。腰椎麻酔法の考案者外科医ビール、交感神経外科のレリッシュの章がくわえられているが、この2章はシゲリストが執筆したものではない。第五版は第四版と同じであり、第六版には編集者Norpothによってペニシリンの発見が加えられた。第三版以降は独語版のみである。
 本書の飜訳にあたって第二版の英語版を底本にした。英訳者名の記載はあるが、この頃より後にシゲリストはほとんどすべての著述を英語で行っているし、多くの専門家は英語の第二版を引用しているからである。飜訳の底本として第三版以降を使うことも考えたが、上記の追加以外に殆ど変更も無いし、むしろ古典としての価値を考えて第二版を用いることにした。その後ほぼ10年間の進歩についてはシゲリスト自身によって「文明と病気」に記載されているし、さらにその後四半世紀の医学通史としては川喜多著の「近代医学の史的基盤」が参考になる。20世紀における医学の進歩は領域の分化が激しく通史を書くのは非常に困難と思われる。
 浅学で誤訳の恐れがあるので英語版原文のファイルを準備した。できたら原文で読んで頂きたい。引用文献は著者があとがきに「専門家はどの資料か知っているし、非専門家には余計なものであろう。」と記していることもあり、省略した。本文において人名は姓の仮名書きに統一したが、索引にはフルネームの他にできるだけ生没年を調べて加えた。著書名や引用された格言(ラテン語だけのことが多い)などの索引も作った。インターネットで調べるに役立つからである。翻訳書を読んでいて原書でどんな単語が使用されているか、どう表現されているか、気になることが少なくないからである。
終わりに
 最後に個人的な思い出を書かせて頂きたい。シゲリストの本を最初に読んだのは医学部1年生になった1949年のことであった。敗戦直後で本が入手できなかったので、毎日のように有楽町で途中下車して占領軍CIEの図書館でアメリカの雑誌や本を手当たり次第に借りていた。そのうちの1冊にシゲリストの随筆集「十字路の大学」(1946)があった。彼の学生時代の思い出や医学史専門家を志した理由の記載にとくに興味をもった。この図書館に「偉大な医師たち」は無かったようであったが「文明と病気」を借りて読み感激した。「ソヴェトの社会と医学」(1937)を借りて読んでソヴェト医学に興味を持った。その後、手紙で教え乞ったところスイスからHistory of Medicine, Vol 1(1951)を送ってくださった。しかし間もなく死去されたことを知った。「偉大な医師たち」初版を赤門前の古書店で買って読み始めたのもこの頃のことであった。半世紀以上たってようやっと完訳した。
 飜訳は大脳の老化防止が主目的ではあったが、それ以外にも得るところが多かった。一つはダイエットという言葉の意味である。「美容・健康保持のために食事の量・種類を制限すること(広辞苑)」の意味で使うのは好きでなかった。「近代医学の史的基盤」によると古代ギリシャでダイエットは「...食餌の話だけでなしに、睡眠、運動、休息、その他生活の万般にかかわるものであった...」であり「養生法」と記載なさっているのを読んで納得した。ダイエテティクも食事療法ととばかり訳するのはあまり適当と思われない。
 もう一つは「病気」についての考えである。不勉強であまり深く考えたことがなかった。ファイルの単語検索を使って「存在物」と「存在論」を探すことをお奨めする。もっと詳しく知りたい方は「近代医学の史的基盤」の索引で「病気の種」、「存在論的病気観」、「疾病分類論」などを探して読むとよい。最後にこの問題に関するナイチンゲールの言葉を「医学の歴史」(梶田昭)により「看護覚え書き」(小林彰夫、竹内喜訳)から引用する。「私たちは病気を、ネコやイヌのように、存在して当然の、独立した『実在物』だと思い込んでいないでしょうか。むしろ病気というものを、不潔または清潔な状態などと同じ『状態』として、あるいは、親切な自然が行う『反応』とは考えられないでしょうか。」
水上茂樹の略歴: 東京に生まれる(1930年1月)。 東大医学部学生(1949-53)。
同学部栄養学・大学院学生、助手、助教授(1954-67)。 九大医学部生化学教授(1967-93)。
中村学園大家政学部教授(1993-2000) 西南女学院大保健福祉学部教授(2001-06)